2009年2月アーカイブ
こんにちは。
駿河なつかし堂の大村です。
大好評のちゃぶ台キャンペーンは終了しました。
たくさんのご注文をいただきました。本当に有難うございました。
さて、今度はすばらしい国産箱膳のご案内です。
駿河職人こだわりの逸品、箱膳を数量限定特別価格で販売します。
すでにスタートしておりますので覗いてみてくださいね^^
その昔、家族のひとり一人が自分専用の飯茶碗、汁碗、小皿、箸の入った箱「箱膳」を所有していた。
箱膳とはかつて、商家や農家などで用いられた膳である。
大きさは大体1尺(30センチ)四方か8寸(24センチ)四方。
箱膳の中には飯碗(ごはん茶碗)、汁碗、箸、湯飲茶碗が収納されていた。
この膳が使われるようになった時期は、このセットの中に飯碗(ご飯茶碗)が含まれていることから、
近世以降と考えられている。
また、この膳での食事については一人づつ、この膳を所有するため「食器はそれぞれ個人に所属する」
という日本的な考え方を反映するものとされている。
これに関連して、子供は一定の年齢になるまで(一般に箸揃えの儀式がすむまで)箱膳を持つことはできなかった。
また、嫁入りには持参するものとされた。
箱膳は農村においては主に囲炉裏を囲んで食事をした際に用いられていた。
その特徴は食事が終わるときにタクアン(オコウコ)で茶碗、または塗り物のお碗の中を拭き取って食べ、
その後に茶碗に茶を注ぐ。
茶を飲んだ後は、布巾で茶碗や箸などを拭き、茶碗やお碗は裏返し、ふたをしめ、棚にしまうというものである。
かつては水が貴重であったため、箱膳の中の茶碗は毎日洗うわけではなく、時折洗うだけであった。
中には大晦日しか洗わないという家もあった。
今日は、今度の箱膳キャンペーンのプレゼント企画でもある、
籃胎漆器についてお話します。
明和2年頃(1765)京都で名高い塗物師、勝月半兵衛を久留米藩に招き、
久留米藩漆塗りが出来たのがきっかけとなり、
明治20年頃(1887)山本村(現在の久留米市山本町)に住む茶人、豊福勝次,
同じく竹細工師、近藤幸七・塗師、川崎峰次郎ら3人が力を合せて造り出したとされています。
また、久留米籃胎(らんたい)漆器と呼ばれるようになったのは、明治28年(1895)京都で開催された、
国内勧業博覧会からです。
真竹を薄くはいだ竹ひごで篭などを編み、漆で幾重にも塗り固め堅牢にし、
漆を研ぎ出して模様とした籃胎漆器。
その過程は、全て手作業によるものとされています。
耐久性があり伸縮や変形にも強く、お盆や茶たく、花かごなどの実用品として重宝され、
贈答品としても愛用される久留米特産の伝統工芸品です。
京都市にお住まいのTさまから、うれしいお便りをいただきました!
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スタンダードなものだからこそ、一生使えるようなしっかりした物を探しておりました。
20年後、30年後も使っているようでしたら、また報告させていただきます。
(京都市 Tさま)
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Tさま、有難うございました!
鎌倉市にお住まいのお客様よりうれしいお便りをいただきました。
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サイズ、色、ともに満足しています。
特に朱色が私の部屋によくあっていて、明るすぎない色目が気に入っております。
(鎌倉市 Kさま)
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K様、有難うございました!

